とりしもさん

49日になったので、ちょっと書かせて頂こうと思います。

かつての盟友、とりしもさんが2017年2月20日に亡くなりました。
20日の朝、心不全だったそうです。その日の夕方、ご家族から訃報があって知りました。
その後、ご実家がある新潟で葬儀に参列させて頂きました。


とりしもさんとは、自分がDreamSoftの「ないずみみとみ」名義で仕事をしていた頃「NorthWind」というADVゲームの原画でお世話になりました。
丁度「撲殺天使ドクロちゃん」の一巻が出た直後辺りだったと思います。
とりしもさんは、とても温和な方で、お仕事の依頼をした時も「自分なんかでいいんですか?」と控え目な回答をされておりました。それが肯定なのか否定なのか、ちょっと判らない時がありましたが、依頼の時は随分と時間を掛けて説得した記憶があります。
その後、何度も会社に来て頂いて打ち合わせをしたり、与太話をしたり……当時の在籍スタッフからも、会議室からよく笑い声が響いていたと訃報の後にも言われましたし、ひろもりボスにも声がでかいと怒られたような記憶があります。
「ああしてください」「こうしてください」という指定に、とても真摯に対応・回答を頂きました。
滅多にありませんでしたが「どうしても譲れない」という時は頑なにこだわり続けました。
それを遺族の方とお話した時「そんな一面があるなんて知らなかったです」と言われておりました。
それぐらい、普段から温和だったという事だったのでしょう。


彼とは仕事が終わったあとも趣味が似ていたので、たまにですが連絡をとって、時には遊びに行ったりしました。
シューティングゲームと模型が好きで「レイディアント・シルバーガン」の攻略同人誌を一緒に見ながらチェインパターンがあーだこーだ言ったり、一緒にシューティング自機のガレージキットを買ったりしていました。
とりしもさんはSNS関係は一切やっておらず、SkypeやLINEもやっていないので連絡は電話のみ。
彼から掛かってくる事は一度もなく「たまには連絡してよ」というと「いやぁ」と笑いながら受け流されました。
仕事が忙しくなってワンフェスに行かなくなり、その後に携帯を替えた時に「電話番号変わったので」と連絡をしました。
それが最後の会話になってしまいました。
ご家族の方から、とりしもさんの携帯の電話帳登録が十件ぐらいだったそうで、その中の一つが私だったそうです。
彼が疎遠になっていても携帯番号を残しておいてくれたお陰で、お別れに立ち会う事ができました。


葬儀の日、数年会っていませんでしたが、全然変わっていなくて。
不思議なぐらい、穏やかな表情でした。

今度彼に会う時は、世界のゲームはこんなに変わったんだぞ、楽しかったぞと、自慢してやろうと思います。